今回の記事は、私が好きな中国古典『老子』からテストの点数を追うことに疲れた方々へ情報をお伝えしていきます。
今回取り扱うのは『老子』の12章になります。よろしくお願いします。
点数至上主義への救い
100点満点で60点がだめな理由は何でしょうか。例えば以下の3つがあります。
- 見劣りの罠:100点や80点以上を取った人より見劣りしてしまう
- 応用の壁:応用問題までは解けていないという先生からの評価
- 謎の安心感:半分以上合っているという自身の安心感
平均点付近の60点には、安心半分、悔しさ半分。そんな中途半端に見える点数ですが、そこには人生を変える本質が隠されているとしたらどうでしょうか?
『老子』は第12章で以下のようなことを言っています。
五色は人の目を盲いしめ、五音は人の耳をして聾ならしむ
私なりに現代語訳をしてみると
派手な色(高得点)や激しい音(難しい応用問題)ばかり追いかけていると、本当に大切なものが見えなくなる。
難しい漢字が多いので少々確認すると
盲いは盲目という字でも使われるとおり、見えないということになります
聾は普段見かけない字ですね。こちらは聞こえないという意味合いです。
「しむ」こちらは古文で出てきますね。使役といって、「〜させる」と訳します。
この現代語訳から私は次のように解釈しています。
多くの学生が「もっと高得点を、もっと応用問題を」と100点を目指して一喜一憂するなか、私達はあえて「色(欲)」を捨てます。
すると、『老子』が得意とする以下のような逆説的な成果を私達は手に入れるのではないでしょうか。
- 取り組んでいる基礎問題を繰り返し練習することができる。
- 基礎の中で細かい問題まで目が行き届き、多様な問題にチャレンジできる。
- 基礎問題では点数を落とさないという揺るぎない自信を持つことができる。
おまけ
また、老子は続いてこのようにいっています。
理想的な統治者たる聖人の行う政治は、人々の腹を満たして生命を維持させるけれども、[耳目などの過度の要求は追求させ]ないのだ。
老子全訳中,池田知久著,p48より引用
私も先生の中のひとりとして、活躍するのであれば
生徒さんが持続性のある勉強活動ができるよう、過度な要求をさせないよう心がけようと考えています。
ただ、過度というのも難しい話ではあります。
腹を満たせるほどを、就職してお金が稼げるほどと解釈すると、
そのために必要な基礎的な知識は教える。だが、一人ひとりの生徒に合っていない過度な要求はしないこと
でしょうか。
まぁただし、『老子』とは一位を目指さないことが一位になる秘訣と言った逆説的な考えをするという解釈もあります。
基礎を充実させるというのが、そのさきどのように花を咲かせるか
いつも楽しみではあります。


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